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ナムジャイブログ

それを瞑想ナショナルました

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あの時の自分が何を考えていたのか覚えていない。毎日同じ時間に起き、通勤し、家に帰って来てご飯を食べて寝てまた出勤。職場が好きで、女学校に通うかのように仕事に行っていたのは覚えている。でも、その頃の思い出には季節感がない。春にどんな花を眺めていたのか、もしかしたら春を色付けてくれる花たちに気づかずに歩いていたのかもしれない。、夏の空はどんなだったか、空を見上げたことはあっただろうか。秋の気配を感じていたのか、冬の厳しさはどんなだったか。思い出そうとしても思い出せない。冬にお布団から出たくなかったことだけは覚えている。
毎日「気持ち」を持って生きたいし、今はそうしていると思う。夏の緑や青い空を見れば自然と気持ちが湧いて来る。あの頃の忙しい生活の中では、立ち止まったり振り返ったり、今自分が何を思っているかなんて考える時間が無かったのだろうし、精神的にまだまだ子供で、「ただ楽しければ良い」と思いながら生きていたからなのかもしれない。そうだ、だから「仕事が楽しかった」という抽象的な表現しか出来ないのだ。たくさんの物を見て、感じることが出来ただろうに、それをしていなかったのが悔やまれる。
 やっと実年齢に追いついて来たと思える今、年を取るのが怖かった20代30代とは異なり年を取るのも楽しく、そしてゆっくり自分と、そして家族と生活と向き合える。仕事もしないでそういう時間を持たせてくれている哲に感謝する。
 そんな恵まれた生活の中、溢れだす気持ちを書き留めることでまたさらに気持ちは深くなり、海外に住む私は家族や友達に話すかのようにキーボードをを叩くのだが、ここ数か月、そんな時間を持てずにいた。作れずにいた。気持ちはどんどん溢れ、そして流れ、あの時に何を思っていたのかもう今は思い出せない。仕事もしていないのに、仕事をしていた20代のあの頃のように、気持ちが流れてしまっていた。
 気持ちを流してしまっていたことで、誰にも何も話していない私は心の中で消化不良を起こし、そして、時だけがただ流れていく。
それなのに自分が関わることが出来る人の数はうんと限られている。これだけの人がいれば簡単に出来るように思われる友達も、72億の人の数を分母にしたら、「ありんこ」よりも小さなものになるだろう。子供の時にその事実を知り、幼稚園、小学校、中学校、高校と出会いの場を設けてもらえる機会を逃すのはもったいないと分かっていたら、きっともっと大事に、そして率先して、そこにいる人みんなと友達になろうと努めただろう。大人になると自ら機会を作らないことには「友達」は出来ないのだ。
相手が人である限り理論的には「誰とでも」友達になれるのだろうがそれでも難しいのだから、自分が心から信頼できる「人」を探すのはさらに難しい。そう考えると、あぁ、良くもまぁ、72億の人の中から今ソファで横になって昼寝している「友人 兼 かけがえのない人」に出会えたものだ。と感心してしまう。
当たり前だが「夫」というタイトルを持つ人を探すのは「友達」に比べてさらに難しい。自分の生活の中で「一人」しかいない存在の人を探すのは難しいのだ。同じように「夫」ほど難しくは無くても自分が信頼することが出来る人、自分の中でタイトルを一つしか用意していない「自分の医者」を探すのも難しい。


 だが恩着せがまし過ぎる。 親が子を育てるのはそんなにも犠牲的なことだろうか。 親は子供から何も貰っていないのだろうか。 そんなことはないだろう。 親は子供から生甲斐、育て甲斐、幸福感、満足感、そんな色々なものを貰っているではないか。  「なっ、俺の子供可愛いだろ」と、友人や同僚に携帯で撮った写真を見せられたことはないだろうか。 そんな時の親父の顔は、幸せに満ちているじゃないか。
   白銀も 黄金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも  (山上憶良)
 山上憶良の子供を抱いた幸せそうな顔がみえるようだ。 彼は、この子が大きくなって、自分が年を取ったら自分の面倒を見させようとして子供を抱いているのではないと思う。 可愛くて、可愛くて、目の中に入れても痛くないほど可愛いのだ。
   瓜食めば 子供思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 
      来たりしものぞ 眼交ひに もとなかかりて  安寐し寝さぬ
 うりを食べても子供の事を思い出す。 栗を食べても子供のことが偲ばれる。 どこから来たものだろうか、目の前に子供の姿がチラついて、今夜は眠れそうにないじゃないか。
 
 こんな山上憶良も、子供が大きくなったら、「育ててやったのに」とか、恩着せがましいことを言ったのだろうか。
 私が書く小説は、SFもあるが、江戸時代物が多い。 したがって、若い人たちには馴染みのない言葉がでてくる。
 筆おろし   
 真っさらのカチカチに固めた筆を、墨に浸して柔らかくし、使い始めること。 10代の男の子の初体験を指すこともある。 
 鳥追い女  
 ピンの女旅芸人のことである。 袋に入った三味線を抱えていることが多い。 水戸黄門のお伴に「かげろうのお銀」という人物が居たが、その普段の姿が鳥追い女。 突然、網タイツの忍者に変わるが。
 丁髷(ちょんまげ)
 若侍や、お殿様などの立派な髷は、ちょんまげとは言わない。 丁髷とは年を取って頭髪が薄くなり、鼠のしっぽみたいに貧弱になった髷をいう。 
短い物語「能見数馬」シリーズを書くとき、その前に橋幸夫の股旅歌謡「木曾ぶし三度笠」をYouTubeで聞いていた。 サブヒーロー中乗り新三のイメージが浮かぶからだ。
 歌詞をネットで探していたら、もう何年も前の質問で、2番の歌詞の「越えて鵜沼が発ち憎い」の意味を質問する「おしえてGOO」があった。  「越えて鵜沼が発ち憎い」が、「難い」でない意味を質問するものだ。 回答は、太田の渡しには渡し船があって、越え易いのだが、鵜沼にある川には渡し船もなく橋もないから太田の渡しを「憎む」としたとか。 
 そのような地形的な「恨み」だったら、その歌詞に続く「女心が心底不憫」、「などと手前も惚れたくせ」が 無視されてしまう。 
  木曾の掛け橋(これは中山道の難所の一つで、崖にかけた板の足場を歩いて越す)
  太田の渡津(渡しではなく「渡津」と書いて「わたし」と読ませたのは、津は船着き場のことだから「この渡しは渡し船がある」という意味)
  越えて---(多分、作詞家は「発ちにくい」と、ひらかなで書いたのだと思う。 それを後の出版社が「難い」とするところを「憎い」と漢字をあててしまったのだろう)
  これで、次の「女心が・・・」に繋がって演歌になる。
    惚れた女に後ろ髪を引かれて、鵜沼の宿が発ち難く、中乗り新三が未練がましく、後一日、もう一日と出立を伸ばしているのを想像する。
 古い歌で、古い質問だったが、わがキャラクター幽霊の「中乗り新三」のために・・・A