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ナムジャイブログ

それを瞑想ナショナルました

 間違いではないかも知れない

 間違いではないかも知れない
 だが恩着せがまし過ぎる。 親が子を育てるのはそんなにも犠牲的なことだろうか。 親は子供から何も貰っていないのだろうか。 そんなことはないだろう。 親は子供から生甲斐、育て甲斐、幸福感、満足感、そんな色々なものを貰っているではないか。  「なっ、俺の子供可愛いだろ」と、友人や同僚に携帯で撮った写真を見せられたことはないだろうか。 そんな時の親父の顔は、幸せに満ちているじゃないか。
   白銀も 黄金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも  (山上憶良)
 山上憶良の子供を抱いた幸せそうな顔がみえるようだ。 彼は、この子が大きくなって、自分が年を取ったら自分の面倒を見させようとして子供を抱いているのではないと思う。 可愛くて、可愛くて、目の中に入れても痛くないほど可愛いのだ。
   瓜食めば 子供思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 
      来たりしものぞ 眼交ひに もとなかかりて  安寐し寝さぬ
 うりを食べても子供の事を思い出す。 栗を食べても子供のことが偲ばれる。 どこから来たものだろうか、目の前に子供の姿がチラついて、今夜は眠れそうにないじゃないか。
 
 こんな山上憶良も、子供が大きくなったら、「育ててやったのに」とか、恩着せがましいことを言ったのだろうか。
 私が書く小説は、SFもあるが、江戸時代物が多い。 したがって、若い人たちには馴染みのない言葉がでてくる。
 筆おろし   
 真っさらのカチカチに固めた筆を、墨に浸して柔らかくし、使い始めること。 10代の男の子の初体験を指すこともある。 
 鳥追い女  
 ピンの女旅芸人のことである。 袋に入った三味線を抱えていることが多い。 水戸黄門のお伴に「かげろうのお銀」という人物が居たが、その普段の姿が鳥追い女。 突然、網タイツの忍者に変わるが。
 丁髷(ちょんまげ)
 若侍や、お殿様などの立派な髷は、ちょんまげとは言わない。 丁髷とは年を取って頭髪が薄くなり、鼠のしっぽみたいに貧弱になった髷をいう。 
短い物語「能見数馬」シリーズを書くとき、その前に橋幸夫の股旅歌謡「木曾ぶし三度笠」をYouTubeで聞いていた。 サブヒーロー中乗り新三のイメージが浮かぶからだ。
 歌詞をネットで探していたら、もう何年も前の質問で、2番の歌詞の「越えて鵜沼が発ち憎い」の意味を質問する「おしえてGOO」があった。  「越えて鵜沼が発ち憎い」が、「難い」でない意味を質問するものだ。 回答は、太田の渡しには渡し船があって、越え易いのだが、鵜沼にある川には渡し船もなく橋もないから太田の渡しを「憎む」としたとか。 
 そのような地形的な「恨み」だったら、その歌詞に続く「女心が心底不憫」、「などと手前も惚れたくせ」が 無視されてしまう。 
  木曾の掛け橋(これは中山道の難所の一つで、崖にかけた板の足場を歩いて越す)
  太田の渡津(渡しではなく「渡津」と書いて「わたし」と読ませたのは、津は船着き場のことだから「この渡しは渡し船がある」という意味)
  越えて---(多分、作詞家は「発ちにくい」と、ひらかなで書いたのだと思う。 それを後の出版社が「難い」とするところを「憎い」と漢字をあててしまったのだろう)
  これで、次の「女心が・・・」に繋がって演歌になる。
    惚れた女に後ろ髪を引かれて、鵜沼の宿が発ち難く、中乗り新三が未練がましく、後一日、もう一日と出立を伸ばしているのを想像する。
 古い歌で、古い質問だったが、わがキャラクター幽霊の「中乗り新三」のために・・・A


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